FM PORTの思い出を振り返ってみた

雑談

2020年3月31日の朝、ツイッターを閲覧していると、

引用元:アニソンシンガー石田燿子さんのツイッターより
https://twitter.com/fmport790/status/1244852911701544961/photo/1

という告知が。どういうことなのか読んでも理解が追いつかぬ・・・
少し時間をかけて咀嚼していくと、FM PORTがなくなるということらしい。
事実を理解すると本当にショックだった。3か月後には12年弱好きで聴き続けたラジオ局がなくなってしまうのだ。

今までメッセージを送ってもらったステッカーやグッズ

遍歴

私がFM PORTを聴き始めたきっかけから停波・閉局までの番組の拝聴遍歴を綴る。

よく聴いていた番組一覧

BEAT COASTER(ビートコースター)Morning Gate(モーニングゲート)
あなたと星空の下で(あな星)Night i(ナイトアイ)
Likey(ライキー)S-POPゴールデアワー
アイラとちかのお気に召すまま
(前身となる番組から拝聴)
BEAT COASTER~FRIDAY EDITION~
(ビーフラ)
Begin the Be☆金(ビギン・ザ・ビキン)α-LIFE(エーライフ)
Paraiso Omelette(パライソオムレット)ECHIGOEIAN〜トキめき新潟人〜
Sw!ch(スイッチ)
一時期でもメッセージを頻繁に送っていた番組は太字

きっかけ

2008年の春。大学を卒業してUターン就職し、初めての社会人経験で日々の生活に限界を感じていた。単純にその仕事が自分にまったく合っていないことも大きかった。そんな状況の中で車で移動する際に車内で流れていたのがFM PORTだった。

当時朝は「モーニングゲート」、昼は「パライソオムレット」、夕方からは「ビートコースター」というラインナップだった。金曜日を告げる「ビーフラ」は、休日への最高のカウントダウンだった。FM PORTを聴くことが辛い日々のちょっとした楽しみになった。

定着

そんな生活がしばらく続くと、ある日休日出勤の命令が出た。配属の関係で片道車で90分ほどかかる職場だった。仕事が終わると時間は22時前。帰宅するために車に乗り込むとラジオが流れる。22時を告げる時報がなり、「ナイトアイ」が始まった。

寂しい夜も 悲しい夜も 悩める夜も 恋する夜も 恋なんかしてねぇ夜も
私とおしゃべりして、憂鬱な日曜日をちょっとでも素敵な日曜日に変えちまおうという番組です。

「NIGHT i」番組冒頭のあいさつを引用(若干間違っているかもしれません)

松本愛さんのアダルトで知的な声で、真面目とコミカルを行ったり来たりする素晴らしい内容。「松本書店」のコーナーは琴線に触れる。

毎日毎週ではないが、こんな生活が2か月ほど続くことになる。仕事の行き帰りではずっとPORTを聴いていて、2008年の11月(聞き始めて7か月)くらいから完全に生活の一部になった。

メッセージを送り始める

年が明けて2009年。いろいろあった末、事実上新卒で入った会社を実質クビになり、半年ほど無職になる。このころ世はリーマンショックの渦の中だ。ガソリンも1リットル150円以上まで跳ね上がった。
特にキャリアや特別なスキルがあるわけでもない私は、一応仕事は探しつつもパチンコやパチスロをしたり、アニメを観たり、PORTを聴いたりして過ごしていた。そんな状況の中、番組にメッセージを送ってみることにしたのだ。

記憶が正しければ、最初にメッセージを送った番組はビートコースターだったと思う。内容は忘れてしまったが、書き始めは「仁さん、おつかです。」で書き始めた記憶がある。
最初に送ったものは読まれなかった。しかし何度か送り続けているうちについに読まれた。素直にうれしかった。「はい、おつか」が返ってきた。届いていないかと思っていた。ちなみに、ラジオネームはこのころから変えていない。
これをきっかけに他の番組(ビーフラ、ナイトアイなど)にもメッセージを送り始めた。

生電話に出る

無職になって約半年。結局職業訓練に通うことにした。
職業訓練に通いつつ、終わったらビートコースターへメッセージを送るという生活がしばらく続いた。そしてある日「CATCH THE MEANING」のコーナーにチャレンジしてみようと思った。おなじみの、曲名や使われていた番組や映画のタイトルを当てるというあのクイズだ。真面目に正解をメッセージで送って生電話で答えるパターンと、大喜利的に答えてTKG(タカギ)という賞を狙うパターンがあった。ちなみに生電話だとおつかステッカー、TKGだとTKGステッカーがもらえる。

そしてある日ついに生電話に出ることになった。スタッフの方から先に電話があり、そして放送にのる生電話でDJの島村仁さんと会話し、最後にクイズの答えを答えるといった流れ。実際に出てみると、ラジオほど音は大きくないので聴き取りづらく、公共の電波放送に出ている感じはあまりしない。
しかし緊張はする。内向的な私が、見たことがない、いわば声だけを一方的に知っている人と話すからだ。結果、何について話したかはまったく覚えていない。が、仁さんが真摯に対応してくれたことだけは覚えている。

生活スタイルの変化でメッセージ頻度が減る

2010年4月。職業訓練を修了して就職が決まった。実習型雇用という雇用形態。
昼間は会社の外で働き、夕方からは会社に帰ってデスクワークをやる日々。退社時間は19時以降になることが頻繁にあり、時には日付が変わることもあった。しかも手取りは13万円くらいで残業代は出ない。出社時間も8時ということになってはいたが、実際は6時や7時が大半を占めていた。休日に関しては日曜祝日と第2、第4土曜日が休み(実際は出勤の日もあった)。人もどんどん辞めていく。

今で言うブラック企業だった。しかも超がつくほどの・・・

こんな生活を続けているとやはりメッセージを送る頻度が激減する。日曜日のナイトアイは毎週のように聴けていたが、平日の番組は状況次第。実家暮らしとはいえ、手取りは13万円。そのうち3万円は家に入れる。
たまに早めに帰宅できると、夕飯を食べてからパチンコやパチスロを打って生活費の足しにしていた。

こんな生活が6か月続いたが、実習型雇用から正社員に切り替わるタイミングでうまく退社できた。

再び聴けるようになるも・・・

2010年10月。超ブラック企業を辞めて再び就職活動。時間もできたのでまたPORTを聴けるのだが、なぜか前よりもメッセージを毎日のように送る気力が湧かなくなった。理由は今でもよくわからない。

それでも聴くのは楽しかった。たまにメッセージを送ったり、ビートコースターとナイトアイの生電話に出させていただいたりもした。

就職先が決まりさらに・・・

再び就職して会社の行き帰りには必ずと言っていいほどPORTを聴いていた。しかし、時が経つにつれてメッセージを送ることがほぼなくなっていった。仕事の都合上、昼間はラジオを聴けない環境だった。
家に帰ってもあまりラジオを聴くこともなくなり、実質ほぼ車の中でだけ聴くサイレントリスナーになっていた

そんな生活がしばらく続き、2011年10月に「あなたと星空の下で」が始まった。

あなたと星空の下で

2011年9月くらいに新番組のお知らせが流れた。

「こんにちは。石田燿子です。RADIO MANIART(WED.)あなたと星空の下で。この番組は大人のアニメソング番組です。あの頃の気持ちでぜひ聴いてください。」

「あなたと星空の下で」のCMより引用(若干間違っているかもしれません)

そしてバックで曲が流れている。

どんなピンチのときも絶対あきらめない
そうよそれがカレンな乙女のポリシー

「美少女戦士セーラームーンR」ED 作詞:芹沢類 作曲:永井誠 歌:石田よう子(現 石田燿子)

あ゛っ! この曲聴いたことある!!

と思い、早速初回から拝聴を開始。1985生まれの私にはこの曲は刺さる。

週1回の放送ということもあり、停波閉局で番組が終わるまでの9年弱の間、ほぼ毎週拝聴。段々とメッセージを送ることも増え、いつしか毎週のようにメッセージを送らせていただいていた。

まとめ

このように、私にとってFM PORTは日常の一部だった。なんでこんな面白い放送局がなくならなければいけないんだろうか・・・

停波の翌日の朝、車に乗ると79.0MHzからは砂嵐が流れてきた。論理的な理由は特にないが、その移動中は砂嵐を聴いていた。

本当になくなってしまたんだなぁ・・・

でもPORTのみなさんの今後の活躍や、まさかの復活は心より願っている。

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